歌曲「イッヒ リーベ ディッヒ」 と ベートーベンについて 

fukublogheader2

【歌曲 イッヒ リーベ ディッヒ】

イッヒ リーベ ディッヒ ゾー ヴィー ドゥ ミッヒ
Ich liebe dich, so wie du mich,  
愛する思いは

アム アーベント ウント アム モルゲン
am Abend und am Morgen,
朝夕たえず

ノッホ ヴァール カイン ターク ヴォー ドゥー ウント イッヒ
noch war kein Tag, wo du und ich  
ふたつの心は

ニヒト  タイルテン ウンズレ ゾルゲン
nicht teilten unsre Sorgen.  
離るる日なし

アウホ ヴァーレン ズィー フュル ディッヒ ウント ミッヒ
Auch waren sie für dich und mich  
なやみも涙も

ゲタイルト ライヒト ツー エルトラーゲン
geteilt leicht zu ertragen;  
互いになぐさめ
ドゥー トレーシュテスト イム クンメル ミッヒ

du tröstetest im Kummer mich,  
憂きも楽しきも

イッヒ ヴァイント イン ダイネ
ich weint in deine,  
ともにわかたん

イン ダイネ クラーゲン
in deine Klagen.  
君とともに

ドルム  ゴッテス ゼーゲン ユーベル ディール
Drum Gottes Segen über dir,  
いとおしの君よ

ドゥー マイネス レーベンス フロイデ
du meines Lebens Freude,  
まごころ愛でて

ゴット シュッツェ ディッヒ エルハルト ディッヒ ミール
Gott schütze dich, erhalt dich mir,  
御神(みかみ)は君をば

シュッツ ウント エルハルト ウンス バイデ
schütz und erhalt uns beide,  
護りたまわめ

ゴット シュッツェ ディッヒ エルハルト ディッヒ ミール
Gott schütze dich, erhalt dich mir,  
御神はわれらを

シュッツ ウント エルハルト ウンス バイデ
schütz und erhalt uns beide,  
恵みたまわめ

エルハルト エルハルト ウンス バイデ エルハルト ウンス バイデ
erhalt, erhalt uns beide, erhalt uns beide!  
恵みたまわめ われらを

【訳】
きみを愛す きみがぼくを愛すように 夕べに朝に
一日として きみとぼく ふたりが憂いを分かちあわないときはなかった
そんな憂いも ふたりで分かちあえば 耐え忍ぶのはやさしいことだった
わが悲しみには きみが慰めとなり きみが嘆きに ぼくは泣いた
それゆえ 神の祝福はきみにありますように 我がいのちの喜びであるきみよ
神よ きみを守り ぼくのそばに置いてくださいますように
我ら二人を守り 支えてくださいますように

 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

【ベートーベン】
1770年12月の16日か17日、ドイツのボンで生まれ。
幼いころから過酷ともいえる音楽教育を受け、非凡な才能を開花するが、家庭的には恵まれず、それが要因からか、死ぬまで家族関係で頭を悩ませることになる。
26才から難聴、体調不良、貧困など苦難が襲うが、不屈の精神でそれらを克服して次々と作品を発表していく。
生涯独身であったベートーベンが手紙で「不滅の恋人」と呼んだのは誰か、さまざまな説が浮上しているものの、現在も確証はなく、謎のままになっている。世界中の音楽学者は3名まで絞ったり、5名まで絞ったり、過去から現在に至るまで、「不滅の恋人」の新説が多々発表されるが、いずれも定説にならない。
1827年3月26日午後5時45分、激しい雷鳴と吹雪のなか、ウィーンで死没。
死ぬ間際の一言。「諸君、拍手したまえ、劇は終わった!」は有名。
ウィーン中の庶民が喪に服し、ベートーベンの死を悼んだ。
ベートーベンは音楽家は貴族というパトロンの為に曲を創る、という慣例を無視。
初めて自らを「芸術家」と名乗った作曲家でもあった。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

Facebook

Sponsor

ページ上部へ戻る