続 シューマンについて思うこと。クララ、そしてブラームスについて

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【続シューマン】

シューマンは確かに偉大な作曲家でした。
しかし、同時に妻・クララシューマンもヨーローッパ随一のピアニストとして、当時、脚光を浴びていました。

クララの父、ヴィークはクララとシューマンの結婚を頑なに反対します。
そして、1年以上にわたる裁判でついにシューマンが勝訴。
二人は、結婚することが出来ました。
世間ではヴィークを親のエゴと取る人も多いでしょう。
実際、文献にもヴィークは天才ピアニストだった娘を一気に世間に売り出したかった、だから反対したという説もあります。

しかし、少し話を戻します。
シューマンはいわゆる当時のドイツでわずかしかない国立大学の法学部に合格します。
幼い頃から音楽も、詩も、勉強も出来たエリートだったわけです。
彼は彼の母の願い通りに一般社会で、社会的な地位を目指すことになります。
ところが、大学に入っても音楽への思いを捨てきれず、大学で全く勉強しません。
そして、ついに母親に、音楽の道へ進ませて欲しいと懇願します。
母は、大変困惑しながらも、当時ピアノを教えてくれていたヴィーク(クララの父)に相談します。ヴィークは「おたくの息子は芽がある」と回答します。

これにより、シューマンは一気に、ピアノのほうへ突き進んでいくことになります。
しかし、ヴィークはシューマンのもつ躁鬱気質に気づいていました。
また、そこを気がかりに思っていたようです。
事実、シューマンはピアニストになる為に猛練習をしますが、間に合わない、と判断し、指を拡張する機械を作り、結果、指を痛めるという暴挙に出ます。異常です。
シューマンのピアニストとしての夢はここで断たれるわけです。

しかし、ヴィークも馬鹿ではありません。彼のもつ作曲才能を見抜いています。
天才かもしれない、とヴィークはこの時、感じつつ、しかし、あの性格では娘はやれないと考えるわけです。(と、私は判断、解釈をしています)

しかし、クララは違いました。シューマンは自分にない部分を全てもっていると感じたのです。だから、二人は強く愛し合います。その結果、結婚は「裁判」という泥沼になってしまいます。
裁判は1年(2年弱?)でシューマンの勝訴。二人は結婚します。

シューマンがドイツ音楽界で成功を収めた頃、ヴィークはシューマンに和解を申し入れる手紙を書いています。これも、卑怯な父親という解釈がありましたが、私はむしろ逆でシューマンの精神疾患がひどくなる前に、父として何か出来ないか、考えたのではないかと思うのです。その頃、クララはシューマンの曲を広めようとヨーローッパ中を演奏旅行で回っていました。しかし、子供が次々に出来るわけです。夫は部屋にこもって作曲ばかり。子育ては すべてクララ。とにかくお金がありませんでした。メンデルスゾーンなどから援助を受けながらどうにか、クララは夫と子供を支えます。クララには天才作曲家シューマンの曲は、私が広めるしかない、という自負があったのでしょう。

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ある日、ブラームス青年はシューマンの家に手紙を書きます。一度、私の曲を聴いてほしいと。しかし、大忙しの二人は手紙の存在すら忘れている状態です。
それでも諦めきれなかったブラームスは、シューマン家を直接訪ねます。
シューマンとクララは青年の訪問を大歓迎して「さあ、何か弾いてください」と招き入れるわけです。
その時の、ブラームスの作った曲を聴いたシューマン夫妻は驚愕し、シューマンはすぐに音楽新聞で、ブラームスを大々的に紹介します。
そして、一気にブラームスの名前は広がることになります。
そんなことをしなくても、ブラームスはすぐに売れた、だからブラームスは迷惑だったと言う文献もありましたが、それなら何故、ブラームスはシューマン家にこだわったのでしょう。諸説ありますが、やはりシューマンへのリスペクトが原点にあったのだと思います。

シューマンの病がいよいよひどくなり、シューマンは精神病院に入ります。
その際、刺激を与えてはならないという理由でクララは面会を許されません。
その間に、例のクララ、ブラームスの不倫説が流れるわけです。住んでいる家も近かった。
そして、シューマンはいよいよ危篤になります。
そのときの最後の一言、これが物議を醸すわけです。

「私は知っている」

ただのうわ言だろう。いや、違う、とあらゆる解釈が出るわけです。
つまり「君たちの不倫を知っているんだ」と。
更に一番下の息子はブラームスの子供だと。
そういう解釈まで出てきます。
いずれにしろ、ロマン派の巨星がここで堕ちるわけです。

シューマンエピソードで私が好きなのは二つかな。

シューマンという人間はとてもメンデルスゾーンを敬愛していました。
ある日、リストが彼を侮辱する発言をしたとき、シューマンは席を立ちます。
そして「君ごときには分からんよ、彼の素晴らしさが」と、そういう趣旨の発言をしてその場を去ります。当時、絶頂期にあったリストのポカンとした顔が浮かびます。

またシューマンはショパンの音楽を絶賛し、ショパンに「クライスレリアーナ」という曲を献呈します。しかし、ショパンは困った。ショパンには理解不能の音楽だったのです。
だからお返しは「バラード2番」、ショパンが最も不出来だと思っていた曲になります。

ここらへんはどうなんでしょうか。
ショパンほどの男があの美しい曲を微塵も理解出来なかったのかな、と首をひねるわけです。同時に、バラード2番、私は好きですが。

ただ、二人の決定的な違いは素養です。つまり、シューマンは音楽家になる為の教育をうけていなかった。しかし、ショパンやその他の作曲家は音楽家になるしかない教育を受けていた。この違いは大きいと思っています。シューマンの型破りなメロディは時に、思想や詩をそのままメロディにあてはめただけじゃないか?というものがあります。一方ではトロイメライのような誰が聴いても名曲だなという曲をさっと書ける。シューマンの天才は少し、特殊であったように思います。

全く飽きないんですよね。私の嗜好もあるのでしょうが、シューマンの曲は飽きない。
私は舞台上、シューマンをこう表現しました。

シューマンにとって、表現媒体は詩でも文学でも良かった。たまたま音楽だった。シューマンは巨大な思想を表現したかっただけである。ショパンが天才ならシューマンは天才を超えた天才かもしれない

と。まあ、随分、言い切りましたが、それくらい文学、詩への造詣が深かったんですね。

あの頃はまさに巨匠たちがすぐ近所に住み、交流を深め、身近にいた時代でした。
 
さて、シューマン死後、ブラームスはクララと一緒に、シューマンの仕事を整理していきます。そして、クララとの手紙のやり取りを続けていくわけです。ブラームスがクララをずっと片思いで思っていたのは確かでしょう。しかし、クララはお姉さんのような態度で接します。そして、クララが亡くなった後、ブラームスも後を追うように死にます。

巨星がここにも堕ちたのです。
ドイツ3大B。バッハ、ベートーベン、ブラームスと言われていますね。
ブラームス、私は交響曲の2番が今、一番好きです。
彼の人生を思ったとき、どうだったんだろう、幸せだったのかなと、考えることがあります。
いずれブラームスという男にも迫ってみたいなと思っています。

シューマンは天国からクララとブラームスの友情を微笑ましく見ていた気がします。

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